鉄は熱いうちに打て!

ここはエモーショナルの墓場

2020-10-30 『罪の声』@TOHOシネマズ新宿

 公開初日に映画『罪の声』を観た。

 日本中を震撼させたあの“劇場型犯罪”をモチーフにしベストセラーとなった原作を映画化したこの作品。

 もともと私はWikiでこの作品のモチーフになった事件の項を読み物として楽しんでいたよこしまな人間で、そこにあの野木亜紀子氏が脚本を手掛けられるということで以前から気になっていたところに、ほんの数ヶ月前MIU404にモロにハマってしまったこともあり張り切って公開初日に観に行くことに。

 

 物語は新聞記者の阿久津英士(小栗旬)とテーラーを営む曽根俊也(星野源)、ふたりがそれぞれの立場から35年前に起こった『ギンガ・萬堂事件』——通称『ギン萬事件』に触れることから始まる。

 記者としてかつてこの事件をリアルタイムで経験した上司に命ぜられる形でしぶしぶ調査を始める阿久津。東京、大阪、果てはロンドンと各地を転々としながら、浮かび上がる点と点を少しずつ繋げてゆく。

 一方、ある日自宅で幼い頃の自分の声のテープと謎の書き込みのある手帳を見つけてしまう俊也。それがギン萬事件に使用されたものであることを知り、亡き父の知り合いを頼って事件を調べ始める。

 

 2時間20分という長尺の話である上、途中主人公たちが出会うまでふたつの視点が行き来することもあり頭の中が忙しなくなってしまわないかなと若干心配していたのだけれど、そこは野木さんの丁寧な筆致と土井監督の手腕ですごくいい塩梅にまとまっていたように感じた。おそらく原作(未読)はもっと長くてカットしたエピソードなどもあるのではないかと思うので、これが作品の持ち味を失わず、観客を飽きさせない公約数の長さだったのかなと。

 主演のふたりを始めとして“静”の芝居がひとつひとつ細やかに編み上げられていて、原作が持っているメッセージを伝えるための芝居というのか、変に引っかかる部分や大袈裟な部分が少しもないのが本当に素晴らしかった。目線ひとつ呼吸ひとつで、その人物の悲哀や葛藤、思いが感じられるようなカットと言えばいいのかな……。

 特にそれを感じたのが、声を使われた3人の子どものうちのひとり、望の友人だった天地幸子(高田聖子)さんのシーン。消息を断つ直前まで望ちゃんと連絡を取り合っていた彼女が最後に連絡を取ったときの望ちゃんの話、それから今日に至るまでどんな思いで居たかを吐露する場面で、彼女がもう、語り始める前からずっと泣きそうな顔をしていて、ついもらい泣きしてしまった。堪えきれず涙する彼女を前に、俊也はどんな気持ちだっただろう。その後登場する総一郎(宇野祥平)と向き合ったあとの沈黙も含め、彼が感じずともよいサバイバーズギルトめいた感情に苛まれている姿があまりにも切なかった。星野源の繊細な芝居が光る。

 それからこれはほかの方の感想でも散見されたが、大見得を切って朗々と声を上げるタイプの芝居が得手である小栗旬がこんなに静かな芝居をしているのを私は初めて観た。終盤で見せる彼の静かな怒りのシーンは必見だと思う。また、阿久津の誠実な人柄や根気の良さが俊也をはじめ関わる人を動かしていく姿にも説得力があり見応えがあった。

 生島総一郎役の宇野祥平の芝居、凄みがあった。終盤で出てくる彼の登場シーンはそう多くはないが、彼が生きてきたこれまでがそのたたずまいすべてに宿っており、圧巻。

 

 たくさんの人間が出てきて何かを語るということは、それだけこの事件が多くの人間の人生に影響を及ぼしてきたということ。劇中で古舘寛治演じる鳥居雅夫が「35年経って息苦しゅうなって深淵から顔出すかもしれん(ニュアンス)」と言う台詞があるけれど、35年経ってもまだ終わっていないということでもあるのではないか。

 時間が経って薄らぐことはあっても、彼らの人生に落とされた影が消えるわけではない。そこで消費された時間は、失われたものは、二度と返らない。

 モノローグがない作品なので、観ている人間は登場人物の声色や表情、目の動きから彼らの感情を読み取るしかない。芝居巧者揃いなので出てくる人たちひとりひとりにリアリティがあり、彼らの人生が感じられたのも味わい深かった。

 タイトルの出方が近年見た映画で一番好き。

 

 近作であるMIU404や古くは図書館戦争を観ていたときにも思ったが、私は野木亜紀子の正義への問いかけがとても好きだ。今回もそれを目の当たりに出来て良かったと思うとともに、内省を促され、音楽も聞かずに無言で帰路についた。いい夜だった。

 

tsuminokoe.jp