鉄は熱いうちに打て!

ここはエモーショナルの墓場

ツイッターに取り憑かれた女の話

 私がツイッターに最初に登録したのは2009年の8月のこと。これは今使っているアカウントではなくて最古の、もう動かしていないものの話だが、貧乏性なのでアカウント自体は削除せずに今も残してある。アカウントをいくつか乗り換えながら、黒歴史クリーナーとかで消してるところもあるからおそらく若干時間が飛んだりしていると思うけど、それでも私のこの12年弱の足跡のほぼすべてがtwitter.comには眠っている。

 世界がコロナ禍に飲み込まれるずっとずっと前から私の生活はツイッターとともにあった。フォース並みに。だから、コロナによって人に会う機会が激減した今、『リモート勤務になり寂しすぎて病んだ』『日常的に人に会いたいので早く出勤したい』という同僚の話をたまの出勤で聞いて驚いたものだ。マジかよ。私はリモート勤務が嬉しすぎて『りつこさんは感染予防したいんじゃなくてリモート勤務したいだけでしょ?!』って上司に怒られたくらいリモートになるのが嬉しかったよ。別に会社の人のことが嫌いなわけじゃないが、ひとりでマイペースに仕事出来てありがたい限りだ。会社のみんなに会えなくて寂しい〜〜〜! なんて気持ちは全然湧いてこない。嫌いなやつの顔も見なくて済むし(嫌いなんじゃん)。

 ちょっと話が逸れたけど、ツイッターがあるおかげで、たぶんそういう人たちよりは全然寂しくならずに済んでいるのだと思う。もちろんリアルで顔を合わせて会っていた友人たち(例によってこれもフォロワーだが……)と会えない日々が続いているのはめちゃくちゃ寂しいのでコロナにはさっさと消滅してほしいけど、でもとりあえずTL見てればみんないるし。文字でみんなの近況を日常的に知ることの出来るこの絶妙な距離感が私には何よりちょうどいい。

 たまに考えるけど、ツイッターが無くなったらどうなっちゃうんだろう。ツイッターが無くなったことを呟くことすら出来ないなんて、考えるだけでゾッとする。

 

 そもそも私はひどい人見知りで、常に人の顔色を伺っているようなしょうもない人間だ。ある程度仲良くなれば気にせずお喋り出来るようになるけど、そうなるまでには膨大な時間がかかる。そういう人間にとって、すべてが文字(とたまの画像)だけで済むのは本当にありがたい。もちろん文字から察せられることには限界があるからすべてを解った気になるのは危険だけど、逆にすべてを察せられないからこそ諦めがつくというか、考えるだけ無駄だという気持ちになれる。自分の発言についても発したあとの相手の反応にそこまで気を揉まずに済むというか、いい意味である程度投げやりになれるのが楽。

 一般的に見たらこの依存具合は健全じゃないんだろうなとは思う。ツイッター自体の空気感も変わってヤバいツールになりつつあることは頭では理解してるがTLの居心地が良すぎるしFacebookやらinstagramでは絶対にこの安心感が生まれることはない。未だにmixiに人が居るらしいと聞いてビビったものだが、この先、というかすでにSNSのトレンド自体はもう他のところに確実に移っているんだろうけど……mixiの古代民と同じようにツイッターにまだ人が居るんだってよ! って言われる側になることは容易に想像がつく。
 ツイッターはもはや私にとっては親みたいなもので、生活の1から10まで全てを報告してしまう。数年前から連絡を絶っている肉親よりよほど私のことを知っているだろう。笑えない。もしかしたら私よりも私のことを知っているかもしれない。もう単なるSNS、コミュニケーションツールの域を越え、ほとんど生命維持装置みたいな存在になりつつある。いや〜文字にするとめちゃくちゃ恐ろしい話だが、純然たる事実なので仕方がない。アル中の人のこととか笑えないよ。依存してるって解っててもツイッター辞めらんねえもんな。

 正しい生き方ではないかもしれないけど、でも私にとってはこのくらいのコミュニケーションが心地よいのだ。こんなに寂しい時代になってもそれまでと変わらずに私を支えてくれる。取り憑かれている自覚はあるけど、もう更生する気もない。ツイッターに代わる何かがいつか現れる日まで、もしくはツイッターから人がいなくなり消滅するその日まで私はずっとこいつに自分の喜怒哀楽すべてを叩き込み続け、TLに流れてくる情報だけで他人を解ったような気になるのだと思う。

 なんだか世にも奇妙な物語みたいだけど、これが私の人生なんだろう。

 

 どうしても文章を書きたい気分だったので久しぶりにオタクブログ以外の記事書いちゃった! 読んでくれた人いなそう! いたらありがとうね!