ギャルになりたい
ギャルとは自分を貫く強さと時代を超越した愛らしさの象徴である。
子どものころはGALSを愛読していた世代。ギャルというものは視界の端には常にあったし、漠然とした憧れもあったけれど、自分がその『憧れ』に近づく、すなわち“ギャルになる”ということについて一度も考えたことはなかった。
私はもう長いこと、熱中する対象こそその時々で違うもののの何かのオタクとして生きていて、小さいころもどちらかというとずっとイケてないグループに属していた(はてなブログにいるんだからそりゃそう)(はてなに失礼)。おまけにむちゃくちゃ太りやすくて人生でもすらっとしていた時期のほうが少ない。なろうと思うことのほうが不自然だろう。
しかも一時期盛り盛りのギャル文化はナチュラルを良しとするブームメントの波に飲み込まれて明らかに衰退していた。アイラインは細く、引かないで済むなら引かないほうが良い。淡いアイカラーに繊細なまつ毛、清楚なイメージばかりが好まれる時代の到来に、街中で見るギャルの姿も変化していった。
前述のとおり、私にとってのギャルのイメージとはすなわちGALSである。
寿蘭であり、山咲美由であり、星野綾であり本多マミである。
雑誌ならeggでありRanzuki。
そのイメージはどれだけ手の込んだ見えないテクニックの要るナチュラルメイクが流行っても変わらなかった。頭の片隅にはずっと、ギャルへの憧れや好ましさみたいなものがあったと思う。今もそれは変わらない。
私もそれなりに年齢を重ねて、時代も変わり、以前よりずっと幅広い世代が好きなように着飾ることに対して寛容になっているように感じる。単純に私が歳を取ってあらゆることに鈍感になったのも大きいのかもしれない。
前置きがやたら長くなったが、私は今更になってギャルを目指している。
きっかけはまあいろいろあるけど、あるときからちゃんみなを聴くようになったことがとても大きい。ちゃんみなの持つ芯の強さ、かっこよさは、私がずっと憧れているギャル像にとても近くて、今になってなぜか「私もこうなりたい」と考えるようになった。誰のためでもなく自分のために、強く、かっこよく、美しくなりたい。今多分人生で一番そう思っている。
どちらかというともともとくっきりした顔立ちだと思い込んで生きてきたので、アイラインは引かなくてもいいと思っていたのが嘘みたいにギャンギャンにアイラインを引いて、バキバキにビューラーであげたまつげにマスカラを塗り、最低3色はアイシャドウを使ってグラデーションを描き、死ぬほどシェーディングして輪郭を削る。クマと肌の乾燥が気になりすぎて、スキンケアやらコンシーラーやら下地やらファンデーションのレビューを眺める毎日。
すっごく楽しい。なんでもっと早くやらなかったんだろうと思うくらい楽しい。
別に化粧にまったく興味がないわけではなかったし、赤いリップがずっと好きでたまに集めてたこともあった。三次元のオタクとして現場に行くこともあったから、推しが客席を見渡したときにげんなりしないように……くらいの気持ちというか、最低限でいいと思っていた。学校や職場の女の子たちはみんな『特別な誰か』のために着飾っているような気がしていたから、自分はそこに入っていけないんだといつの間にか思い込んで、勝手に線を引いていた。
でも本当はそんなことなかったんだな。
みんな自分がしたいから化粧をして、かわいくなるのが楽しくて情報を共有したり研究して過ごしてたんだろうな、とごくごく当たり前のことにこの歳になってようやく気がついた。
遅すぎるかもなあと感じる瞬間も正直ある。でも、何かを始めるのに遅すぎることなんてない。私がこの気づきを得るのは、今このタイミングしかなかったんだということにして、人生にひとつ増えた楽しみをじっくり味わっていきたい。
何が言いたいかというと、メイクで武装するの毎日めちゃくちゃ楽しいで〜す!ということでした。
マーキュリー・ファー以降も記事全然書いてなかったけど相変わらず毎日元気に恵比寿のオタクしてるので溜まってる分の記事もおいおい書いて……無理かな……書けるやつから書いていきたいです。
あとこういうとりとめのない記事もまた書くつもりなので、よかったらお付き合いください。