鉄は熱いうちに打て!

ここはエモーショナルの墓場

推しという人生のバフと私

 映画『あの頃。』を観た。大好きな友人が勧めてくれたこの作品は、バンド『あらかじめ決められた恋人たちへ』のベーシスト、漫画家、神聖かまってちゃんの元マネージャーなど様々な肩書きを持つ劔樹人の、“ハロヲタ*1というひとつの側面から彼と彼の仲間たちの人生を描いたエッセイを映画化したもの。

 友人もまた一時期激烈なモーヲタ*2だったこともあり、この作品が刺さりまくったらしい。「主人公とあややとの出会いのシーンで泣いた」というのを聞き、私も観に行ってきたわけです。観る前からホモソーシャルな部分がわりとエグめだよと言われていたこともあり、正直気持ちの良い部分だけの映画ではなかったが、観てよかった。オタクが推しと出会う瞬間ほど衝撃と幸せに包まれた時間はないから、それが観られただけでも価値があったかな。

 映画自体のくわしい感想はまた機会があれば書くとして、今日は私が『あの頃。』を観ていの一番に頭に浮かんできた言葉「推しは人生のバフ」について書きたいと思う。

 いやそもそもバフってなんなのよ? って人がいることを忘れてた。「ゲーム中のキャラクター(プレイヤーやモンスター)の能力を強化する(動詞)。 または、そのように強化すること、強化する効果(名詞)」というRPG用語です。

 

 さて、突然だけど私はオタクというものが嫌いだ。

 え?! 自分もオタクのくせに?! と思うじゃん? でも正直、オタクほどオタクのことを嫌っている人種もないんじゃないだろうか。それって同族嫌悪だよねと思う自分と、オタクにも種類がたくさんあるので同族にして欲しくないと思う自分がいるが、まあ、同族嫌悪なんでしょうね。ついでに同担拒否気味だし。友達と知り合い以外には常に身構えているところ、ある。

 当然ながら、ひとくちにオタクといっても執着の対象が違えば取る行動も違う。同じものが好きだったとして、そのアプローチは千差万別。愛し方は人それぞれ。だから他人のそれが気に食わないことだって多々ある。少しは分別のついた大人になった今でもあるんだから、多分死ぬまであるんだろうな。同じものが好きだからこそ譲れない部分は大きくなるものだし、同じものが好きだからこそ相手の愛し方が許せなくなる。嫌いになる。愛情はいつだって綺麗なものとして取り扱われがちだけど、けしてそんなことはない。私たちみたいな一方的に愛を注ぐことだけに特化してしまった人間のそれは特に。ない人もいるって? そういう人のほうが幸せだよ絶対。私だって何にでも寛容でいたいですよ。好きで嫌な気持ちになるやつなんていないって。

 オタクじゃなければこんなふうにオタクを視界に入れることもないのになあ。でも、今更オタクを辞めることも出来ない。学生時代につるんでいた友達はみんな大学あたりで一度辞めたり、結果的に辞められずとも辞めようと努力しているのを見てきたけど、私自身は「オタクを辞めよう」と思ったことは一度もない。同族に対してどれだけよくない感情を抱えてしまったとしても、年齢を重ねて自分の人生を生きるべきなのではと思う機会が巡ってきたとしても、辞めるという選択肢はまったく出てこなかった。

 その理由はたぶん、オタクであることがあまりにも私自身の性質に向いてしまっているせいなんだと思う。

 少し前の記事に書いた通り、私には恋愛感情というものがよく分からない。いわゆる「ときめき」というものの感覚自体は理解出来るけど、共感は出来ない。それを自分がリアルに経験したいと思ったことがなく、また何かを個人的に与えられたい、施されたいと思うこともほとんどない。でも、何かのことを好きになること、そのことについてあれこれ思いを巡らせることの喜びや楽しさは知っている。つまり、ある種一方通行の感情の極みである*3オタクはとても居心地が良いのだ。思う様に何かを愛することはあまりにも楽しい。いや、もちろん推しからいろいろ受け取ってはいるけど、それってファンという大枠に対してのものであって、一個人に対するどうこうじゃないじゃん?! そういうサービスが発生するときもあるけど、私は基本的にそれを必要としていないので……もちろんそれが悪いという話ではないです。

 前置きがバカみたいに長くなってしまったが、推しがいる人生ってめちゃくちゃ輝いている。対象は個人だったりコンビだったりユニットだったり、人それぞれあるだろう。推しじゃなくて担当だったりご贔屓だったり、この際呼び方はもうなんだっていい。ほかのマイナス要素全部差し引いたって残るものが有り余るくらい、それらから受け取るものは大きくて豊かだ。それまでなんとも思っていなかったものになんらかのきっかけでスイッチが入ってしまったとき、人間は狂う。トップスピードで狂人(くるんちゅ)になる*4

 スイッチが入ったあと、世界は見違えたように色を変える。何もかもが輝いて見える。あと心臓が持たなくなる。薬物をキメたみたいなことを言っちゃってますけどね、脳内麻薬で気持ち良くなってるんだからラリってるには違いないんですよ。ドーパミンとエンドルフィンがドバドバ出てもうサイコーになっちゃうんだから!

『あの頃。』で松坂桃李演じるツルギが、モラトリアムに囚われながら日々漫然と過ごしていたときに『桃色片想い』のMVであややと出会ったその衝撃を、私は確かに知っている。直後、チャリをかっ飛ばしCDショップでアルバムを手に取ったときの歓喜も。推しがいるというだけで毎日が楽しい。はまりたてなんかはまさに無敵だ。まじで元気になる。推しによって100の出会いと95の別れが生まれ、その後好きなものが被らなくなったとしても縁が長く続くことだってある。10年近く前から変わらず仲良くしてくれているみんな、いつも本当にありがとう。大好きだよ。

 人生のかたちが人それぞれであるように、何かを『愛する』やり方も人それぞれだ。私にはたまたまこういう愛し方が性に合ってるってことなんじゃないかな。もちろん前述の通り人様のそれが気に食わんこともあるから極力目に入れないようにして心の平穏を保つようにしてるけどね! ストップ・パブリックサーチ!

 結局いまだに恋のよろこびは知らないままの人生でも、私はそれに匹敵するくらいのよろこびを推しに教えてもらったと思う。そしてそれは無二のよろこびですよ。洒落じゃないよ! 強がりでもない! 真面目な本心!

 私飽きっぽいので、過去に思うさま追いかけたけど、今はもう追いかけることがなくなってしまった人たちももちろんたくさんいる。通り過ぎてしまった今も、彼らが私の人生にいろんな彩りを与えてくれたことに変わりはないわけで。あの頃は本当にありがとうございました。ずっと元気でいてほしいな。(別れた交際相手か?)

 だから結局、友達以外のオタクが嫌いだけど、嫌な気持ちになることもあるけど、でもオタクになって良かったって思ってます。

 以上、まとまりがないまま終わります。フェクライもう来週だよ! 楽しみだね〜!

 

*1:知らない人はいないと思うがハロープロジェクトのオタクの意です

*2:こちらもまた知らない人はいないと思うがモーニング娘。のオタクの意です

*3:個人の感想です

*4:©️フォロワー